第15話

 峠の町クーラントを出発して2日が経った。結局、「バイエルまで帰る」と言うシジェとオーガスも馬車に同乗して、5人の旅路になった。

 そのバイエルまでもうそれほど距離はない。いつしか海沿いの街道と合流し、大きな道を多くの人馬が往来していた。ファーナは幌の中から目を輝かせて外を見た。外は雲ひとつ無い晴天で、まだ日は高くないのに厳しい日差しがじりじりと照りつけている。

「久しぶりだね、先生」

 懐かしい景色に心を躍らせながら、ファーナは幌の中に目を向けた。

「…3年前だったか。リクレアの150年祭は」

 実は一度、ファーナはこの街を訪れたことがあった。3年前、リクレア王国が建国150周年を迎えた祭典に招かれたのだった。その時は、エルガードの下宿先のメンバーと一緒だった。

「オルバのご両親にもご挨拶したいけど…今は無理よね」

 下宿先が同じだったオルバは、リクレア王国の末の王女だ。ただ、6人兄妹の末のためか、本人は全くもってそういう自覚が無い。今も、勉強の方が楽しいからと言って、エルガードに居座りっぱなしだ。

「そうだな、今は色々とややこしいことになりそうだ。極力公官庁には近づかない方がいいだろう。どこかで船を調達して…」

「ん?船買うんなら、海運庁に行かなきゃダメっすよね、オーガスさん」

 ラークの言葉に疑問を持ち、シジェが確認するかのように相方に聞く。

「…あー…。そうだな。結局よ、バイエルの船舶ってのは登録制なんだ。船長とか船員とか、航路とか目的…、細かいトコまで書いて書類出さなきゃなんねぇ。税金だってかかる。買うくらいなら、どっか別の船に便乗させて貰った方が良くないか?まあ、行き先次第だが…」

 その言葉に三人は困惑した表情で顔を見合わせた。

「…言いにくいことなんだけど…実は、フォーレスなの」

 ファーナの一言は、二人を絶句させるに充分だった。はあ、と溜め息をシジェが漏らす。

「いやあ…見聞広げるって言ってもそれはー…」

 困惑してオーガスに目配せをする。

「…そりゃ、無理だなぁ。フォーレスとは国交断絶してるし、好んで行く船もない。シャクーリアまで出る手もあるが、あそこも今は地教から天教国家に様変わりしてるから、フォーレス側が入国を許さないだろうな。残りは、スレークまで出てから定期船に乗る方法。でも、こっからじゃ時間掛かるぞ?」

 オーガスの言うことは、結局は正しかった。

 バイエルに着いてから、シジェとオーガスはすぐに馬車を降りた。契約が終了となった馬車の御者とも別れ、三人は手当たり次第に船舶業者を回った。しかし、どこも色のいい回答は出してくれない。

「フォーレスに行くだって?馬鹿はよしてくれよ。あそこは地の神の土地だ。天教徒が行こうとすると、たちまち嵐に襲われるって話だ。嘘じゃ無いぞ。この五百年で、実際に起こったことなんだから」

「こう、こっそりと行くってことは…。どうしても行きたいんです」

 ファーナが食い下がってみる。

「無理だね。船舶許可書に書いた通りの航路を辿らないと罰せられるし。そもそも、航路にフォーレスと書いた時点で刎ねられるさ」

 10件回って同じ回答だった。既に日が落ちかかっている。

「この街の業者はこれで全部みたいだな。…どうする」

 ぽつぽつと街灯が点き始めた往来の真ん中で、カティスが地図に×印を書き込んでいく。それを一瞥したラークは、前方にある波止場に目をやってから口を開いた。

「…シャクーリアまで行こう。あそこからならまだここよりはフォーレスに近い。さっきオーガスが言っていた通り、あそこは最近天教寄りだが、昔の誼で船を出しているところもあるかもしれない」

 シャクーリアまでは船で1日半。大陸最南方の島国だ。

「今から乗れば明後日の朝には着くか。丁度いい、乗れる船を捜そう」

 カティスとラークが港の方へ向かおうとしたが、ファーナが声を掛けた。

「待ってよ!…急がないと駄目?もう日も暮れそうだし、明日でもいいじゃない」

 馬車を降りてから歩きっぱなしのファーナは、もう足が棒になりかけていた。二人は互いに顔を見合わせてから、カティスが口を開いた。

「…やな感じがすんだよ。付けられてるっつーか」

「え?」

 ファーナが眉間に皺を寄せて小さく声を上げた。周りを焦って見渡したが、活気のある漁港という風景以外見えるものは無かった。

「あんまりキョロキョロすんなよ。…だからなるべくさっさと離れたいんだよ」

「先生も、何か分かるの?」

「…何となく視線は感じるな。殺気立っている訳ではないが、気持ちのいいものではない」

 そう言うと、ラークはふと、3軒向こうの建物の屋根を見上げた。

 

「…勘がいいな。流石に王子の親友だけある」

 三角屋根の隅にある煙突に身体を潜ませていた一人の男が、ぼそっと独り言を呟いた。その身は並の男性よりも小さいが、速さと忍びの術なら最上級の腕を持っていると自負している。

 ファーナの兄ヘディンより下命があって、南へ旅すること約一週間。クーラントという山間の街の手前で、魔獣と戦う一行を発見した。影から見ていて、男は舌を巻いた。王子の親友、ラークは無論のこと、もう一人の、カディとファーナが呼ぶ男も相当な腕を持っている。姫が危険に晒されても、きっと彼等が護るはず。特に助けに入る必要は無いと感じていた。そうなると、自分のすべき事はただ一つ。3人の様子を、カルディアにいるヘディンに報告するだけだ。

「彼らはフォーレスへ向かう予定。出来うる限りの所まで追いたい」

 そうしたためて、鳩を飛ばしたのはついさっきだった。彼にとっても、フォーレスへ向かうには難しい話だった。風の精霊術を多少心得ているが、『風読み』のように自由に空を飛ぶ力まではない。航海で行こうとすれば、たちどころに遭難するというのは有名な話だ。どうしようか、思案していたところだった。

「!」

 一行が船の中に入って行くのが見えた。シャクーリアへ向かうのだろう。しかし男は不思議に思った。定期船なら、もっと派手な格好をしているはずだ。しかしこの船はそうではない。どちらかと言えば、貨物船のような形態だ。

 彼らを追おうとして、船に乗ろうと下に降りようとしたその時だった。ふと、視線を感じた。

「…誰だ?!」

 勢いよく振り返るとそこには、男も見知っている顔があった。

「…あんたは」

「あーあ、ばれちゃいましたか」

 目の前に現れた男は、ばつの悪い苦笑いを浮かべていたが、すぐに表情を引き締めた。

「…お願いがあるんです。あの人たちを見守っているのでしたら、尚更、お願いしたいんです」

 

「定期船なら、つい三十分前に最終が出たが…。急ぎなら、貨物船だが乗せてやってもいいぞ?」

 二つめに聞いた船が丁度シャクーリアまで荷物を運ぶというので、それに便乗させて貰うことになった。渡りに船とはまさにこのことだと、ファーナは思った。

 荷物の積み卸しは港に居る者がやるというので、船員自体は少ない船だった。せいぜい二十人ほどだ。料理も自分たちで賄うという。

「寝床はあの奧が空いてるから、使って貰っていい。料理は俺らの分分けてやるよ。その代わりと言っちゃ何だが、船の掃除とか手伝ってくれると有り難い」

 四十代半ばの船長、バラストは気前のいい感じの中年だった。シャクーリアの商人で、丁度大陸で入荷した商品を自国に持ち帰るところだと言う。

「シャクーリアは今、どういう情勢なのですか」

 ラークがバラストに尋ねた。ふうん、と顎をさすってバラストは一瞬考えた。

「天教が結構広まってな、俺らは昔と比べて商売がやりやすくなったぜ。今まで土着の信仰だったからよ、大陸じゃ大分馬鹿にされた。『遅れてる』ってな」

 ラークの顔が一瞬暗くなったように、ファーナは見えた。しかしすぐに、ラークはいつも通りの表情に戻った。

「そうですか。それは何より」

 それだけ言って、口を噤んでしまった。ラークの脳裏には、ファーナの成人の儀の時に、ヘディンに媚びへつらっていた使者の姿が浮かんでいた。

「ああ、あとはな、海賊行為が随分盛んになっちまった。今日あたり出るかもな」

 三人が顔を見合わせる。昼に別れたシジェとオーガスの二人を、三人は同時に思い出した。

「?どうされたんで?」

「いえ。何でもないです。ただ、海賊って怖いなって思って」

 ファーナが困り顔で答えた。正直、あの二人が本当に海賊だとは思えない。ただ、クーラントで見せた戦い振りは、まさに戦場のプロだった。彼らが例えばこの船を襲う、そんな想像は出来なかった。

 夜。海は穏やかに凪いで、航海は順調そうだった。三人はすっかり部屋で寝こけてしまっていた。そんな静かな部屋に、覆面をした数人の男の足音が忍び寄る。静かにドアを開け、三人が寝静まっているのを確認すると、そっとファーナに近づく。

「…流石はスレークの眠り薬だな。手練れの男もここまで深く眠らせるとは」

「しかしこんなところでカルディアの姫が手に入るとは、願ったり叶ったりだ。連れの男も誘拐犯だということで殺せば、一気に金が入るぞ」

 小声で男達が話す。そんな話し声すら、眠っている三人には届かない。

「じゃあ、縛るぞ…」

 手に持っていたロープを、ファーナの手に掛けようとしたその時だった。

 

 ――パリン!

 

「ぐあああっ!」

 窓の外から小刀が投げ込まれて、ガラスが割れる。小刀は丁度ロープを持っていた男の手に刺さった。全員が窓の方を向く。この部屋の窓の外は海だ。誰かが居よう筈もない。

「な、何だ…」

 男の叫び声で、まずカティスが起きた。目を開けたと同時に、状況を悟る。

「ちっ!何だよ、嵌められたのか!」

 目の前には覆面男が七、八人。どいつもこいつも得物を持っている。まだ寝こけている二人を一度見て、ふと、視界に入った窓を見やる。

「――この男達を一瞬足止めしてくれ!俺は二人を叩き起こす!」

 その言葉につられるように、襲いかかろうとした男達は全員窓の方を向いた。すると、再び小刀が、今度は何本も投げ込まれる。不運にして刺さった者は一様に後ずさりした。

「ど、どうなってんだ!外は海だぞ?!」

 動揺する男達を尻目に、カティスは詠唱に入った。

『彼らを夢魔に縛りし闇よ、彼らより離れよ!』

 単純な覚醒魔法を唱えた。たちまちに、二人は目を覚ます。

「!な、何これっ!」

「嵌められたな。ファーナ、お前の賞金目当てだと思うぞ」

 すぐに二人も身構えた。それと同時に、上からドタドタと慌てたような足音が近づいてきた。

「せ、船長!海賊が…!海賊ラズリが!」

「何?!」

「え?船長?」

 ファーナが怪訝な顔をする。船長バラストが先頭切って自分を捕らえようとしたというのか。

 少し後ろにいた覆面男が、慌てて走り去っていったのを見て、全員それに続いて去っていった。それを、三人は呆気にとられて見ていた。

「―姫!ご無事ですか?!」

 船員が居なくなったのを見計らって、窓から小さな男が現れた。

「ダタ!」

 ファーナが驚く。宮廷騎士の彼が、どうしてここに居るのか。考えられる理由は一つしかない。

「…ヘディン様の命令で、ずっと影よりファーナ様を見守っておりました。今回ばかりは、姫様に危険が及びましたので、お助けした次第です」

「お兄ちゃんが…」

 ふわっと、ファーナの表情が明るくなる。

「今の内にここから逃げましょう。海賊ラズリ一党の計らいで、小型船を貸して貰っています。すぐ下に付けていますから、お早く」

 ダタが窓を指さす。よく見ると、小さい光がゆらゆらと水面に揺れていた。

「…成る程。その小舟から小刀を投げていたのか。そして海賊の本船は引きつけてくれているんだな」

「…いえ。それはそれで、彼らは別に、この船に用があるみたいでした。姫様の救出は…ある一人の海賊の強い希望だったんですよ」

 三人が顔を見合わせる。その間にダタが窓のガラスを全部割り、降りやすいように整えた。

「水面からはそう距離はありませんから、そのまま飛び降りて大丈夫ですよ」

 言われるがまま、先にファーナが顔を覗かせた。

「…あっ!」

 水面は1メートルほど下にあった。小型船は貨物船にぴったりとくっつく形で待機していた。その小型船から、見上げていたのは――

「シジェ!」

 昼間別れたシジェがにっこりと微笑んでいた。

「ご無事で何よりっす。さ、早く!」

 

 小型船に、5人が乗り込んだところで、船首は踵を返し、バイエル方面へと向かった。海賊船の本船は、貨物船にぴったりとつけて動かない。その景色が段々と遠ざかっていく。

「いやあ、びっくりしたっすよ。お頭の言い付けで皆さんを付けてたら、今日襲撃予定の貨物船に乗ってしまうんだから。たまたまダタさんを見かけたから良かったものの、一時はどうしようかと思ったっすよ」

 風の音に負けないように、シジェは大きな声で話す。船の動力源は風のジェムだった。風を起こし、逆噴射で進むという代物で、手こぎより遙かに速い。

「お頭の言い付けって…?」

 ファーナがふと疑問を口にした。シジェがまた、あっと小さな声を上げた。ばつの悪そうな顔をして、舌を出した。

「…実は、皆さんのこと、話したんすよ。そしたら、是非味方に欲しいから、声掛けるタイミングを見計らって誘ってくれって。でもほら、皆さんだって急いでる身でしょう?だからちょっと様子見てたんすよ」

「海賊の仲間に?!」

 ダタとファーナが素っ頓狂な声を上げた。

「そ、そんなことを姫様にさせるわけが…」

 ダタは猛反対の姿勢を示した。

「僕らは只の海賊じゃないっすよ。オーガスさんも言ってたじゃないっすか。僕らは義賊だって。話はお頭からさせます。…それとも、皆さん、僕ら悪い人間に見えました?」

 ふるふると、ファーナは首を横に振る。シジェはほっとした表情を浮かべた。

「生憎、お頭も本船に乗ってるんで、帰ってきてからっすけど。今日はちょっと時間掛るかもしれないっすね」

「どうして?あの船、何かあるの?」

 ファーナが素朴な疑問を口にした。シジェは少し表情を暗くした。

「あんまり、カルディアのお姫様の目の前で言いたくないですけど…。あの船、奴隷商売船なんすよ」

「え?」

 ああ…とカティスとラークが同時に溜め息に近い声を上げた。

「…センセ、教えてなかったのか?職務怠慢だろ」

「…まさか関わる日が来るとは思ってもみなかったからな…」

 眉間に皺を寄せるファーナに、ラークは向かいなおった。

「竜人は人間より巨大な力を持っている。それは分かるな?」

 ファーナはこくりと頷く。

「…それ故の悲劇だ。竜人は人を見下した。それが人々の間で錯覚を起こした。天教徒が地教徒を迫害したり、挙げ句、奴隷扱いする地域さえ現れた」

「それって、歴史上の話じゃ…。それにそんな行為は法律で厳しく取り締まってるはずよ」

 ラークがかぶりを振る。

「それは統治が行き届いたカルディアだから出来る話だ。だが、政治が不安定な場所では今でも闇ルートでそういった商売が行われている」

 ファーナは唖然とした。

「…あの船は、シャクーリアから水神信仰を捨てない人々を連れ去っては、大陸に売ってるんです。そうして莫大な金を手に入れて、向こうで安い交易品を買っては、シャクーリアで高値で売り抜く。僕らは、そんな輩を許す訳にはいかないんです」

 シジェが厳しい顔をする。普段穏やかな表情をしているだけに、ファーナはその行為がどれだけ卑劣か思い知らされる。

「自分達の国の人をそんな…モノみたいに扱うの?酷い…。どうしてそんなことができるの…?」

 想像しようとしてもできず、ファーナは混乱した。今にも泣き出しそうな顔を見て、シジェはふと困ったように微笑んだ。

「…?」

「貴女が、こうして他の国の人々の事を心配してくれる人で良かったって思って。…あーあ、天教徒でも何でも構わないから、貴女みたいな人が何人かでも、シャクーリアの王家にいたらなあ…」

 夜空に浮かぶ半月を眺めながら、シジェはしみじみと愚痴をこぼす。遠くを見つめるシジェを苦い思いでファーナは見つめていた。

 

 深夜にも関わらず、ステンドグラスから照らされる月の光で、教会内はほんのりと明るい。誰も居ないはずの時間に、祭壇に向かって祈りを捧げる人影があった。

(ファーナ様…。どうかご無事で…)

 月夜の日は天に祈りが届きやすいという言い伝えが、サリエルの故郷にはあった。今日は雲一つ無く、祈りが届くようにという一心で、かれこれ2時間ほどこうして手を組んでいる。

(…それにしても)

 前にヘディンが言っていた言葉を、サリエルはずっと気にしていた。『白天使』『神隠し』『世界の命運』、そして――

(何か思い出したら、教えてくれ、か)

 その意味を、充分すぎるほどサリエルは理解している。しかしそのことが、どうして姫の行方知れずに関わってくるのだろう。

(…『白天使』様…。もし居られるのでしたら、僕の祈りを…願いを聞き届けてください。僕は―)

 そう心の中で唱えたその時だった。一瞬、目の前が真っ白になった。

(貧血…?疲れてるのかな…)

 そう思ったか思わなかったか、再び目の前が真っ白になる。その向こうに人影が見えた。白に近い白銀の、柔らかな雰囲気の人影が。

(――!?違う!)

 思わずサリエルは目を閉じた。その白い空間に意識を委ねようとする。遠くでその人物が、何かを訴えているように見えた。

「貴方は…?」

『―…に、語りかけた、者よ、私は、…に応えよう。そなたの…、私が、聞き…よう』

 サリエルは身を凍らせた。途切れ途切れだが聞こえる。自分の祈った人物の声が。

「…『白天使』さま…!?」

 優しく、落ち着いた声。顔は遠くて判らないが、きっとこの声と同じような、優しい人だ。

『…今、…は再び、闇に…。…は、渦中…に…』

 だんだん声が遠くなっていく。必死にその言葉を聞こうとしても聞こえない。

「待って…!僕は…どうしたら…!」

 白い世界が晴れていく。宵闇が支配する教会の祭壇が目の前に現れる。今起きた出来事に、サリエルは震えながら呆然と立ち尽くしていた。

「…『白天使』さまの声…。もしかしたら、祈り続けたら、もっと聞こえるのだろうか…」

 震える体を自分の腕でぎゅっと抱きしめる。長く息を吐き、心を落ち着かせる。

(…でも、この…妙な感覚…。前にも、確か…)

 思い出そうとすると、身体に悪寒が走った。ぶんぶんと頭を振って、きつく目を閉じる。急にどっと疲れも出てきた。

(今日はもう休もう。…明日から、また…)

 ゆっくりと、サリエルは教会を後にした。

 

 バイエルから海岸に沿って少し北上したところの岸壁に、大きな洞窟があった。陸側から下を見ても断崖絶壁の上、余程手練れの操舵士で無ければ、海流の流れに攫われて辿り着くことは出来ない。まさに自然の要塞と言うべき場所に、海賊ラズリのアジトはあった。

 シジェが操舵する小型の船が辿り着いたのは、夜明けで空が白み始めた頃だった。洞窟に入ってしばらくすると、船着き場が見えてきた。その先端でランプを持った人物が、彼らの帰りを待っていた。

「よう。無事だったか」

 オーガスだった。別れてからまだ一日も経っていないと言うのに、ファーナにはもの凄く懐かしく感じられた。

「また、お会いしましたね」

 少し気恥ずかしく思いながらファーナはオーガスに笑いかけて船から降りた。

「姫さんも無事でなによりだ。本隊は?」

「まだ沖です。僕は別働隊でしたから」

 最後にシジェが風のジェムを取り外して下船し、全員が桟橋を渡った。

「…って、あれ?一人増えてないか?」

 ランプで船に乗っていたメンバーを照らしたオーガスが、ダタを指差した。

「彼はダタ。カルディアの宮廷騎士の一人で、忍びなの。お兄ちゃんが心配して、私を見張るように寄越したの」

 ダタが会釈する。オーガスもそれにつられた。

「オーガスだ。海賊ラズリの根城にようこそ。歓迎するぜ」

 オーガスの案内で洞窟の奧へと進む。居残り組は100名ほど。本船に乗って行ったのが50名ほどで、合わせても200は超えないという。高い洞窟には所々穴が空いていて、上手く細工して光と空気とを取り入れるようにしてあった。中はちょっとした村が形成されていて、店や鍛冶屋の看板が下がっている建物や穴もあった。

「すごい…。ちょっとした街じゃない。ここで暮らしてるの?」

「ああ。肉や野菜、穀物はどうしても外で調達しないといけないが、後は資源豊富だ。困ることはない」

「あ、お金が必要って、外から食糧を調達するのにってこと?」

「ああ。全員が食っていくには、どうしても必要だからな」

 まだ夜が明けきっていないせいか、外にはあまり人が居ない。大雑把な案内が終わると、やがて、奧から二つ目の建物に案内された。

「隣の建物はお頭の家。ここは客人を泊める家。…もっとも、海賊に客人なんか滅多にこないけどな」

 オーガスが苦笑した。

「じゃあ、お頭が戻ってくるまで休んでいてください。家は自由に使ってくれて構わないんで。お頭が帰ってきたら、また呼びにきますから」

 4人を残し、シジェとオーガスは去っていった。家の中は、一家族が住める位のスペースがあった。リビングが一つ、部屋が二つ。

「…じゃ、お言葉に甘えてしばらく寝ることにするか」

 カティスが先に部屋に入っていく。その様子を見て、ファーナとラークは顔を見合わせた。

「…何か、珍しいね。大人しいっていうか」

「まあ…今日は色々と動いたからな。お前は疲れてないのか?」

「うーん、さっきぐっすり寝ちゃったから、それほどでもないんだけれど…」

 仲良く他愛も無い話をしているファーナとラークを、ダタは少し離れた場所で見ていた。ヘディンの話によると、ファーナは家出したのだとシャルが言っていたという。しかしそのヘディンの親友であるラークが共に旅をしている。もしかすると、姫は家出ではなく、ヘディンはそれに関して最初から何か知っていたのではないのかという疑念が、ダタの胸にはあった。

「…姫」

 ダタが堪らずファーナに声を掛けた。ファーナはそれに気付いてダタの方を向く。

「何故、城を出られたのですか?そして、これからどちらへ向かうおつもりなのですか?王子が心配されておりましたよ」

 ダタの質問に、ファーナは言葉を詰まらせた。ラークに助けを求めるように目線をやるが、ラークは何も答えず首を軽く横に振った。ラークが答えたところで、それはファーナの出奔の理由にはならない。

 しばらくの沈黙の後、ファーナは口を開いた。

「…家出よ。私、嫌になっちゃったの。お城に閉じこめられてるようで。…成人のパーティーで思ったの。こんな風に、政治の道具になるのは嫌だって。それで」

 そういう気分はずっと前から抱いていた。外に憧れた当時の自分の気持ちは、嘘では無い。

「…では、あの御仁は。ただ者ではないと推察しましたが」

 ダタが寝室の扉に目をやる。一番聞かれたく無いことを聞かれてファーナは冷や汗をかいた。

「…魔獣に襲われたところを助けてもらったの。で、行く当てもないし、彼についていってみようかなって」

「姫!」

 ダタが叱りつけるように大声を出した。

「カルディアの姫ともあろう方が、そんな簡単な気持ちで見ず知らずの人間と旅をするなどと…」

「いいじゃないの!もう私、お城に戻りたくないの!だから姫でも何でもないわ!ダタ…ここまで来て貰って悪いけど、お兄ちゃん…王子様のところへ帰って。私は元気で旅してるから、もう私のことなんか気に掛けないでって、言って」

 ファーナのその態度に、隣で聞いていたラークが逆に驚いてしまった。嘘にしても真に迫りすぎている。半分は本気なのかもしれないと思った。

「…姫…」

 ダタが困惑した表情でファーナとラークを見比べる。ファーナは若干目が潤んでいるように見えた。それを見て、ダタは決心がついた。

「…いいえ。見届けます。帰れと言われても、隠れて付けていきます。それが王子の望まれたこと。姫ではない貴女に、命令されても動きません」

 ファーナはその言葉に、呆気にとられてしまった。ラークだけはクスクスと忍び笑いをしている。

「せ、先生!」

「お前の負けだ、ファーナ。…ダタ殿。一つだけ頼みがあります。付いてくるのは構いませんが、あまり二人を詮索しないでやってくれませんか?それがあいつの…ヘディンの頼みだとしても」

 ラークの眼差しは真剣そのものだった。余程知られたくない事情があるのだと、ダタは直感した。

「…分かりました。…ただ、万が一のことがあれば…」

「無論。それは私も同じですよ、ダタ殿」

 ダタに柔らかく微笑み返す。しかし、その目が笑っていないことに気が付いたファーナは、安心したと同時に、ラークのこの旅にかける想いの重さを感じ取った。ファーナの視線に気が付いたのか、ラークが振り向いた。

「ファーナ、お前も寝ておいたほうがいい。いつ頭領が帰ってくるか分からないからな」

「…あ、う、うん…そうする」

 薦められるがまま、ファーナはカティスとは違う部屋に入る。ぱたりと静かに扉を閉めると、何故か疲れがどっと出てきた。ろくに着替えもしないまま、ファーナはそのままベッドに倒れこみ、深い眠りへと落ちていった。

 


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