第7話

 鮮やかな一閃が、木漏れ日を纏ってきらりと光る。

 さも楽しそうに銀髪の青年が踊るように立ち回る。それを、ファーナは呆然と眺めていた。

「…これで最後か」

 ドスンと音を立てて魔獣の身体が転がった。顔に飛んだ返り血を、カティスは無造作に手で拭った。多少息は上がっているものの、その表情には余裕の笑みが浮かんでいる。山道には、熊型の巨大な魔獣が死屍累々と転がっている。

「んだよ、何ボーっとしてる。…日差しにやられたか?」

 その言葉にファーナははっと我に返った。

「え?いや、流石だなーって思って。暑いのは慣れてるし」

 鉱山の町ルードを出発して5日。相変わらずファーナとカティスは山道を徒歩で南下している。これから冬に向けて寒くなる季節ではあるが、南へ向かっているために、むしろ夏へ逆戻りしているような感覚に襲われる。そして、カルディアから離れれば離れるほど、途中出くわす魔獣の数も、心なしか増えてきているように、ファーナには感じられた。

「…また助けられたし」

 それなりに鍛えてきたという自負があるだけに、悔しい気持ちでいっぱいになる。

「助けたつもりはねぇよ。俺はこうして戦うのが好きなだけだからな」

 にやりとカティスが笑う。

「ま、アンタも、平和ボケの姫さんにしては、相当な腕だと思うけどな。…問題は奴らの方だ」

「奴ら?」

 カティスが剣を、ファーナの後ろに転がっている魔獣の死体に向けた。

「魔獣だ。こいつら、五百年前と比べて強くなってやがる」

「…強くなってって…?どうして?五百年前の生き残りがひっそり暮らしているだけじゃないの?」

 切っ先を向けた魔獣の元に、ゆっくりとカティスが歩いていく。その姿を、ファーナは目で追う。カティスは息絶えた魔獣の元に膝をついて毛を撫でる。

「『竜を喰ら』ったんだとよ。竜の魔力は強すぎて毒だが、人間と交わったことで魔力が薄まって喰っても死ななくなったんだろうな。…ま、逆に人間の方は『呪い子』なんてのができちまったが」

 撫でる手を止めて、ファーナの方を向く。ファーナの顔は、少しだけ強張っていた。その表情を見て、カティスは渋い顔をした。

「…お前も…そうなのか?」

「ううん…。けど、周りには、そういう人…いるよ」

 少しだけ気まずい沈黙が流れたあと、おずおずとファーナが口を開いた。

「私は…さ、結果こうなっちゃったのって、仕方ないって思うんだけど…、『呪い子』で生まれてきた人は…やっぱり、辛そうだよ…。自分の魔力で、お母さんを…殺してしまうんだもの」

「…」

 辛そうな表情を浮かべるファーナに対して、カティスは無言のまま、ファーナを見つめる。

 急に青空が雲に覆われ始めた。うっそうとした森の中は、一気に暗くなってくる。

「あ…、まずい、スコールがくる…」

 ファーナがはっとして顔を上げた。エルガードに留学に行っていた頃によく体験した感覚。湿っぽい風が、どこからともなく吹いてくる。雨はすぐそこだ。

「ちっ…、走るか。こないだ貰った地図によれば、この先にシャナって村があるはずだ」

 すっくと立ち、カティスが駆け出す。ファーナもそれに慌てて山道を駆け上りだした。

 

 結局、雨に降られて、土砂降りの中を二人は走っていた。

「――!」

 足元がぬかるんで、ファーナは前のめりに倒れてしまった。

「っつう…」

「無事か?」

 先を行くカティスが振り返り、ファーナが起き上がるのを待つ。ふるふると顔を横に振り、ゆっくりと立ち上がるが、上手いこと目が開かない。

「ひでぇ顔…。泥だらけだぞ」

「うわ、やっぱり?目痛くて開けられなくて」

 そう言うと、ファーナは目を閉じたまま泥だらけの顔を天へと向けた。シャワーのように降り注ぐ雨が、顔を伝っていく。

「こうすれば雨が洗い流してくれるでしょ。…それにもうじき…ええと、シャナ村だっけ?だし」

 両手でごしごしと顔を拭き、汚れを落とす。それを呆気にとられながらカティスは眺めていた。

「…まあ、それでいいならいいけどな…。シャナ村、人がいねぇかも知れねぇし」

「え?」

 もう目の前、水蒸気の向こう側にうっすらと見えている村の門を、髪の毛から滴り落ちてくる水滴を拭いながら見やる。

「…命の気配が無いんだ。それどころか…死の気配がする」

「死の気配…」

 闇の精が居るというカティスの言は、多分正しい。ファーナははっとして駆け出そうとしたが。

「焦って行っても無駄だ。…それに、その村を壊滅させた奴もまだいるかも知れない」

 逸るファーナを抑えて、カティスが先行して村の中に進む。その後をファーナがしぶしぶ付いて行く。家屋はところどころ破壊されてしまっており、とても人が住めるような環境ではない。

「何か、やな感じ…。ゴーストタウンというか」

「生き残りが上手いこと別の町に逃げたのかもな」

 カティスはやがて、村の最奥にあった大きな建物の扉に手をかけた。

「…教会?」

「ああ。地教だな、この紋章。大抵は教会に避難するもんだし、誰かいるかもな」

 ギイイ、と大きな音を立てて扉は開かれた。建物の中は暗く静かで、外の雨音がただ室内に響いている。奥には一部屋根の開いている場所があり、大木が空へ向かってそびえ立っている。  ファーナは入口で中を珍しそうに窺っていたが、カティスは無遠慮に中へと入っていった。

「中、入らねぇのか?」

 気付いたカティスが後ろを振り返り声を掛ける。

「他所の宗教の教会に入るのは、何か気が引けて」

 中のカティスに聞こえるよう、少し大きな声でファーナは答える。その答えに、カティスは不思議そうな顔をする。

「珍しいな。竜の末裔の広げた宗教の信者は、節操なんか持ち合わせてないと思っていたが」

「…カルディアの布教活動ね。あれ嫌よ。今もスレークやフィリアに布教名目で兵を出してる…。そこの人々の文化を、汚しちゃいけないのに」

 それを行っているのが、実の父であり、祖父であるのが、ファーナには苦痛だった。だから姫という立場が嫌だった。自分は嫌なのに、侵略を受けている国の人々からは必ず敵として見られる。

「…いよいよ珍しい姫さんだ。お前はホントに天教徒…いや、カルディアの姫なのか?」

 ファーナの言葉に、カティスは驚きあきれたような声音で返した。

「変なこと聞くわね。正真正銘、カルディアの姫よ。だから、この紅い瞳と髪を持ってる。違う?」

 当然のことと、ファーナは言い放った。

「ま、それは確かに…」

 カティスは言葉を切って、はっと建物の奥へと目を向けた。

「何?何かいるの?」

 剣の柄に手をかけて、カティスは奥へ進む。薄暗い中、並んでいる椅子の陰で黒く蠢くモノを確認する。そのモノも気配に気付いて赤く光る目をこちらに向ける。

「!」

 ファーナが声を上げようとした瞬間、カティスが走り出した。先ほど山道で出くわした魔獣よりも一回り大きい。低い姿勢から剣を水平にして切り込んだ。

「なっ!固いっ…」

 毛が固いのか、肉まで刃が到達しない。はっと上を見上げると、両腕を上げて今まさに振り降ろさんとしている。間一髪、それを後ろに飛んでかわす。舞い上がった土埃の向こうから、グウグウと唸り声が聞こえてくる。

『オ前ダナ!俺達ノ仲間ヲ殺シタノハ!』

「…?さっきのことか?…じゃないな、時間的にあわねぇ」

 ぼそっとカティスが独り言を言う。

「どういうことだ?俺はここに着いたばっかりだ。お前の言ってることがさっぱり見えないんだが」

 構えを解いて、カティスが語りかける。その姿を見て、入口にいたファーナは焦った。ファーナには、カティスが独り言を言っているようにしか聞こない。

「ちょっと、何を…。まさか、魔獣と会話してるの…?」

 そこまで言って、ファーナははっとした。『堕天使』は、魔獣と意思の疎通が出来たと、言い伝えられていたではないか。彼にとっては、慣れたことに違いなかった。

『シラヲ切ルナ!俺達ノ仲間、ソコラ中ニ毛ダケアッタ!人間ノ仕業ダト知ッテイルンダゾ!』

「あー…なるほどな。毛皮を売るのにお前らを狩ってたのか、この村の人々は。…だから復讐のためにこの村を襲ったんだな」

「えっ…」

 カティスの言葉にファーナは言葉を無くす。

『貴様モ!貴様モ殺ス!』

 一段と大きな轟音を上げて、魔獣は襲い掛かる。振り下ろされた巨大な両腕をカティスは身軽に飛んでかわし、剣の先を下へ向けて降下する。

「残念だったな!それなら分かると思うが、力で力を捻じ伏せようとする奴は、同じように力で捻じ伏せられる運命なんだよ!」

 毛に覆われていない目をめがけて、剣を突き刺す。悲鳴が建物中に響き渡る。魔獣は顔を抑えてもがいていた。

「カディ!」

 床に着地したカティスは、そのまま詠唱に入る。ファーナは居ても立っても居られなくなり、思わず中へと走りだした。しかし、濡れた床に足を滑らせて転んでしまった。

「うわっ!?」

 尻餅をついたまま、詠唱を続けるカティスの背中を見る。

「…姫さん、綺麗事だけで世界は語れねぇんだよ。コイツに情を掛けたらどうなるか、想像してみろよ」

「!」

 きっと自分達は殺されて、この魔獣は山を降り、別の町を襲うのだろう。それでも、感情が、目の前の光景を許せない。

『…闇世へと還れ!』

 断末魔の叫びを上げて、魔獣は絶命した。ドオン、と大きな音を立てて、身体が倒れる。ファーナはその場に座り込んだままだった。

「…どうしたんだよ、腰でも抜かしたのか?」

 振り返ってカティスが座り込んだままのファーナに声を掛ける。

「い、いや…。ここ、あの、滑って転んじゃって」

「はあ?間抜けな奴だな、さっさと立てよ」

「う、うん…」

 よろよろと、ファーナは立ち上がって奥へ進む。魔獣の亡骸を目の前にして立ち尽くす。亡骸は、大木の傍に横たわっていた。雨が止んだのか、空が明るくなってきた。水滴に日が当たりきらきらと光る。厳かな雰囲気を醸し出していた。

 近づくと、幹のところに、何事かが書いてあるレリーフがあることに気が付いた。ファーナには見覚えのある言語だった。

「ええと…確か、『…全ての命は、母なる大地へと還り、やがて再び地より出で、あらたなる命とならん…』」

 幹に手をつき、そのレリーフの言葉を、その言語で『正しく』詠んだ。言い終えたと同時に、身体にひどい悪寒が走った。

「うっ…?」

貧血でも起こしたような感覚に襲われる。と同時に、周りの地面から突然光があふれ出た。

「な…馬鹿!お前それは…」

 カティスの言葉は、しかしファーナには届いていなかった。ファーナは呆然自失の状態で、ぼうっとその光を見つめている。

『その時まで、安らかにお眠りなさい…』

 そこまで言い終わると、光は弾けるように消え、ファーナはその場に倒れこんだ。カティスが駆け寄って、身体を起こすが、気を失っていて起きる気配は無かった。

「…地の精霊術を発動させただと…。お前は一体…」

 

 緑の絨毯が、どこまでも広がっている。

 風がそよぎ、頬を撫でていく。その感覚に、ファーナは気が付いた。

「…ここは…?あれ、私どうしちゃったんだろ…。あのレリーフの言葉をなぞって言って…」

 そこでファーナはハッと気付いた。あの見覚えのあったレリーフの言葉は、留学時代にフォーレスから来ていた友人の本に書いてあったものだ。

「…地の精霊術…?あれ?何で私が…」

 精霊術は容易く扱えるものではない。親和性や媒介となるジェム、そして、それぞれの精霊の特性に合った詠唱がなければ、発動はせず、ただの言葉でしかない。

 ファーナの背中に冷や汗が流れる。天教徒なのに、カルディアの王女なのに、立場が正反対の術を使えるなんて、父や兄に何と言えばいいのか。ふと、カティスの言葉を思い出した。

「…本当に、天教徒で、カルディアの姫なの…か…?」

 不安になった。カティスを目覚めさせたこと、そうして今、天教とは敵同士と言ってもいい地教の魔法を発動させてしまったこと。足元が崩れそうな気分を覚えた。

「私は…」

 ふと、風が強く吹いた。吹いた方向を見ると、50歩ほど離れたところに、土色の髪の女性が立っていた。

「あ、貴女は!」

 間違いなかった。成人の儀で虹色の玉に触れた時に出てきた女性。あの時は泣いていたが、今は、心なしか微笑んでいるように思えた。

『ありがとう…。貴女のお陰でシャナの村の人々の魂が救われたわ。皆魔獣に襲われてしまったの。私にはどうしようも出来なかった。誰かのちからを借りないと、何も出来ないの』

「…人々…。あの魔獣さんは、救われないの?」

 女性は一瞬、驚いた顔をした。しかしすぐに、ふわりと微笑んだ。

『苦しみや哀しみ…そういった感情を捨てられず、あの地に留まっていた魂全てを貴女は大地に還したの。だから…あの魔獣も一緒よ』

 その言葉にファーナは安堵して笑顔を見せた。

「そっか…それなら良かった。ところで…貴女は何者なの?どうしてあの玉に触れた時に出てきたの?そして今も…」

 ファーナが言い終わる前に、彼女は音も立てずに近づいた。ふっと優しく、ファーナをその両腕で抱く。その優しい感覚に、ファーナは一瞬うっとりとした気分になった。

『…私はこの大地。人々は地の精ギアナと呼ぶわ…』

 

「!」

 ファーナはそこで正気を取り戻した。どこかの民家のベッドだった。もう夜だ。ファーナは周囲を見渡した。カティスが台所で何か料理を作っている。

「え?ここ、人の家でしょ…??」

 その言葉にようやくカティスはファーナが起きたことに気が付いた。振り返って、ふう、と溜め息をついた。

「もう誰もいないからな。勝手に使わせて貰ってるだけだ」

「そりゃ、誰もいないのはそうだけど…」

 そこでふと、自分の格好に気が付いた。…―着たことのないパジャマだ。よく見てみると、カティスも違う服を着ている。

「ちょ、ちょっと待って!アンタ、私を脱がして着替えさせたの!」

「そのままだったら風邪ひいてたんだぜ、感謝くらいしろよな」

「そ、それ以前にねぇ…」

ベッドから降りようとすると、恐ろしい疲労が身体全体を襲った。

「うっ…」

「…やっぱりな。慣れない精霊術を使ったせいだ。それも、竜人なのに、地の精霊術なんて真逆なモン使うからだ。よく身体が持つよな」

「…うん…」

 その言葉にファーナはなぜか落ち込んだ。真逆の術。禁忌ではないが、『天使』の血を引く者は反発しあって大変なことになる。だからファーナも基礎までしか習っていない。

「どうして…」

 重い身体を引きずるように、ファーナはベッドから降り、ダイニングテーブルによろよろと腰かける。

「身に覚えはないんだな?なら、精霊の気まぐれだろ」

 何かのごった煮スープが入った鍋を丸ごと持って、カティスはダイニングテーブルの中央に置いた。見てくれはそれほど悪くはない。

「気まぐれ…。本当にそうなのかな…」

「疑うだけの材料はあんのかよ?」

「いや、無いけど…」

「なら気にすんな。…喰えよ」

 小さいお椀に取り分けられたスープをずいっと出される。それを手にとって、中身とカティスとを見比べた。

「…カディって料理上手いの?」

「独りが長けりゃ、自然と上達はするもんだ」

 一口食べてみると、意外と美味しい。ふう、と長い溜め息をファーナは吐いた。

「…すっごく美味しいー…」

「まだ疲れてるからだろ、さっさと喰ってさっさと寝ろよ」

「珍しいこと言うのね。いつもならそんな殊勝な言葉、掛けないのに」

 頬杖をついて、カティスは自分で作ったスープを口に運ぶ。

「…さっさと先に進みたいからな」

 ファーナは思わず手を止めた。カティスの本心が初めて聞けたような気がした。フワリと笑って、目の前の皿のスープを一気に飲み干す。

「うん、なら、そうするっ。じゃあ、お休みなさいっ!」

 怒濤の如くベッドに戻ったファーナを、呆けた顔でカティスは見つめた。ふう、と一息ついて、席を立つ。窓から空を見上げると、銀色に輝く半月が見えた。

「…じきに一ヶ月、か…」

 

 机の上に積みあがった書類に一つ一つ目を通し、何事かを別の紙に書き写す。その作業を一通り済ませた後、ヘディンは一つ溜息をついて、背もたれに体重を預けて腕組みをした。

「…どういうことだ…これは」

 週1回届く各領主からの手紙の内容を書き出し、地図に落としていった。異変が起こっていることは、明らかだった。

「…ハルザードから離れた地域で魔獣の増加傾向…。それも離れれば離れるほど…」

 留守居の軍事を任されたヘディンには頭の痛い話だ。主力は出払っていて、残された戦力は少ない。とりあえずは、地元の者達で対抗してもらうしかない。その術を、決して教えていないわけでもない。

 一枚紙を取り出して、その旨を書き綴る。筆を置いて、また思案にふける。

 嫌な予感がする。増加に転じた時期に起こったことは――

「…まさか、堕天使の目覚めに呼応しているとでも言うのか…?」

 ふと窓の外に目をやる。白い半月が、静かに夜を照らしていた。

 


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