第25話

 

 空気がピリピリとしている。まるで、周りの全てが怒りに満ちているかのようだった。その緊張感は、山頂に近づけば近づくほど強くなってくる。

 それと同時に、本来感じることのない歪んだ力も次第に強くなってくる。

「…くそっ、胸糞悪ぃなあ…」

 カティスは空を飛びながら眉間に皺を寄せて、しばし思案に耽る。捻じ曲げられた力。それを人為的に生み出し、世界を意のままにしようとする――。

(人は、力を持たない代わりに、力を補うための技術を持っている…)

 その技術は世界をも捻じ曲げてしまうかもしれない。

「…俺らが来なくても、結果は同じだったかもしれねえぜ」

 ふっと、自嘲気味に笑い、誰かに囁くように独り言をつぶやく。それから、きっと目の前を見つめた。そこには、既に山頂に到着した赤い竜とルナリア、そして、赤茶色の宝石が散りばめられた白い鎧に身を包んだ赤毛の少女の姿がはっきりと見えていた。歪んだ力は、怒りは、その少女から痛いほどに伝わってきた。

 それを感じた途端、カティスの背筋がざわついた。

(許せねえ…)

 何を『許さない』と思ったのかは、カティス自身も解りかねた。感情よりももっと深い、自身の根底にある――いわば本能のような部分で、目の前の状況を不快だと感じる。

「ああ、とにかく…許せねえ!ルナリア、貴様に身の程ってモンを教えてやる…!」

 速度を上げて、ルナリアとファーナがいる付近まで勢いよく突っ込んでいく。

「考えもなしに突っ込んでくるなんて…バカ?」

 ルナリアはそう言うと、ぱちんと指を鳴らした。すると、ファーナが一歩前に出て腕を突き出した。

「!」

 鎧にあしらわれている宝石が光ると、一瞬にして大きな火の玉が、彼女の手の先に作られる。ファーナの目が一瞬見開いたかと思うと、火の玉はカティスめがけて放たれた。

『彼の在処にて留まれ!』

 カティスもまたとっさに両腕を突出し詠唱する。火の玉の動きは、カティスとファーナの丁度中間地点で止まる。しかし――

「くっ…抑えられねえ…だと…!」

 火の玉はわずかながら、カティスの方へと動く。カティスはこれ以上は無理だと早々に判断して、構えを解いて上方へと舞い上がる。再び動き出した火の玉は、そのまま一直線に森へと落ち、ドォンという大きな音と共に、辺り一帯をたちまち火の海にした。その周辺にいたであろう鳥たちが空に舞い上がり、地上も騒然とし始めた。

「うわ…やべえ」

 その様子を渋い顔でカティスは眺めた。このままでは街にも被害が及ぶ。かと言って、あんな火の玉をまともに食らうわけにもいかない。

「さっさとケリを付けねえと…」

 焦燥感に駆られる。そうは言っても、簡単には近づけない。

「ふふふ、その様子だと手詰まりかなあ?」

 愉快そうにルナリアが声を掛けてくる。

「黙ってろこのガキが!」

 凄まじい剣幕でカティスはルナリアに怒鳴る。そして、ファーナに目を移した。

(あのジェムを無効化するか…あるいは奴らの影響を断ちきれれば…。どのみち懐に飛び込むしかねえな)

 ふっと、カティスの姿が宙から消えた。

「えっ…!」

 ルナリアがハッとして周りを見る。きっと狙いは――

「解ってるんだよ、そこに現れるのは!」

 ファーナの目の前にルナリアはナイフを差し出そうとした。しかしその寸前にカティスが現れ、ファーナを正面から抱いてそのまま火口付近まで猛スピードで飛んで行った。

「!」

「悪いな、少し我慢しろよ」

 ファーナの身体を地面に叩きつける。その勢いで、ファーナの身体は地面を抉りながら火口の方へ滑っていく。

「『ぐっ!』」

滑り止まったところで、カティスはファーナの身体に馬乗りになり、動きを封じる。ファーナは鬼のような形相で、息を荒くしながらカティスを睨みつけていた。

「『貴様…!我が依代に何を…!』」

 少女の声と、男の声が同時に聞こえる。その男の声は、カティスには聞き覚えがあった。

「みっともねえと思わねえのか!その依代に憑依させた技術は!俺ら竜人が編み出したもんじゃねえ!人間が作ったモンだ!人間の技術でてめえらはいいように使われてんだぞ!その技術はやがててめえらを滅ぼす…!」

「『だからこそ…総てを無に帰すのだ!』」

 興奮冷めやらない様子で声を張り上げる。カティスは息を飲み、やがて眉を顰めてつぶやいた。

「…違うだろ」

 そう言って、カティスはファーナの胸倉を掴んで立ち上がった。

「『貴様…!』」

 両手で力一杯にカティスの腕を剥そうとするが、カティスはありったけの力でその手を離さなかった。

「少し頭を冷やせ。その怒りすら…てめえらの本意じゃないんじゃないのか?!」

 そう言いながら、ずるずると火口まで身体を押していく。熱が伝わってくるのが解る。今目の前にいる『彼』と同様に、怒りをぎりぎりのところで押しとどめている、そんな気がした。

「!まさか…火口に落とすつもり…!?そんなことしたら、お姫様は死んじゃうよ!」

 背後から追いかけてくるルナリアが声を上げた。この一行は、姫を殺すようなことはしないはずだ。それに付け込んでこの作戦を立てたのに、あっさりとそれを実行しようとしているのか。言葉の端々には、焦りの色が見え隠れしていた。

「その通りだ。…ま、俺も一緒に飛び込むんだけどな」

 ルナリアに振り向き、カティスが口の端に笑みを浮かべて言う。

「な…」

 そのまま、カティスはファーナの身体もろとも、火口へ身を投げ出した。

「…無理心中…?!いやそんなわけ…」

 ルナリアは火口へと駆け、その下を覗き見た。銀色の光が、赤黒く光る溶岩の中へと溶け込んでいく。その様子を、動揺が抑えられないままルナリアは眺めていた。

 

 

 ――誰かが、泣いている。

 哀しんでいる。儚んでいる。

 我が子のように慈しみたいのに、そうできないから。

 慈しみたいモノを、壊さないといけないから。

 だから――

 

 ふと気が付くと、どこまでも赤い空間が目の前にあった。どろどろとした赤い何かが、上へ、上へとゆっくり遠ざかっていく。

「…?」

 ファーナがふと首を横にやると、銀色の翼が目に入った。

「…え?カディ…?」

「気が付いたか、…ファーナ」

 少し疲れがあるような、そんな声。どうやら、後ろ向きで腹の辺りを抱えられているようだった。

「あれ、何で…?それにここは…」

「お前、スレークの連中に攫われて、いいように使われてたんだよ。…まあ、覚えてないんだろうけどな」

「スレークの…あ」

 言われてファーナは思い出した。ルナリアに攫われて、あの妙な石を近づけられて、身体が怒りでいっぱいになって――

「…助けて…くれたんだ」

 不意に、目頭が熱くなる。意識が途絶える直前に願ったことが、こうして叶えられていることに、ファーナは心から感謝した。そう自覚すると、とめどなく涙があふれてくる。

「…おい、泣いてんのかよ…」

 鼻をすする音が聴こえたからか、呆れたようにカティスが言う。

「だって…すごく怖かったから…。誰のものか分からない怒りと…哀しみが…自分を飲み込んで…。私、死んじゃうかと思った…」

 思い出すだけでぞっとする。自分が自分でなくなってしまう感覚。身体は生きているかもしれない。けれど、『自分』という意識は死んでしまうのではないかと思った。

「そう…だろうな」

 カティスぽつりとそう言うと、降下をやめ、ファーナの腰を抱え上げた。

「ふぇっ…」

 カティスを見下ろす形になったファーナは、涙でぐしゃぐしゃになっている顔が無性に恥ずかしくなって、とっさに手で頬の辺りを覆った。

「俺も…経験あるから解る…。一人にして悪かったな」

 そう言って、カティスはファーナをそのまま降ろし、抱き寄せた。ファーナの顔がカティスの肩口に埋まる。カティスの思いがけない優しい言葉に、ファーナは安堵しきってそのままひとしきり泣きじゃくった。

「…もういいか?」

 落ち着いた頃を見計らって、カティスが声を掛ける。

「…うん、ありがとう…」

 目を腫らしながらも、ファーナは笑みを浮かべてカティスを見る。そんなファーナの様子を見て、カティスの表情も少し和らいだ。

「なら、状況を説明する。何を言われてもいい覚悟はあるな?」

「うん」

 一度ぐすりと鼻をすすって、ファーナは頷いた。

「まずはココだな。ここは火山の中…まあ、溶岩の中だ。時空術で別空間を作り出して、ここまで降りてきた。今は透明な球体の中にいるって思っていればいい」

 言われて、ファーナは改めてぐるりと周囲を見渡した。赤く光るドロドロとしたものが、二人の周囲を避けてゆっくりと上へと昇っている。

「…何でそんな状況に…?」

「お前、スレークの連中に小細工されて、ヴォルスに乗っ取られてたんだよ。ヴォルスの影響下から逃れるためには、奴の力が及ばないようにすればいいからな」

「…ヴォルス…。そう言えば、ルナリアが言ってた。『すべてをヴォルス様に捧げろ』って…。私、気を失ってた間何を…?」

「…まあ、実質的な被害は、森を焼いた程度じゃねえか?それは気にしなくていい。一足遅かったら大惨事だっただろうけどな」

「大惨事…」

 ファーナは身震いした。一体何が起こっていたかは想像が出来ないが、曲がりなりにも『神』と言われる存在が起こすことだ、生半可なことではなかっただろう。

「あと、上にはまだルナリアがいるからな。邪魔が入らないようにするには奴が手出しできないような場所に行くしかなかった」

「ルナリア…」

 『竜人』から世界を人間の手に取り戻すために戦ってる――。それも彼女達なりの正義なのだろう。だからと言って、それに賛同するわけにはいかない。それは自己否定に繋がってしまう。

「そしてもう一つ。…そろそろ出てこいよ、ヴォルス」

「えっ…?」

 カティスの発した言葉に、ファーナは身を固くした。先程まで自分を乗っ取っていたという存在を、今また呼び出すなんて。

「大丈夫だ、この空間は破られない。奴の影響下には入らない。それに…」

 目の前の溶岩が動いて、逞しい男性の人形を作り上げる。

『…カティス、迷惑をかけたな』

 低い男性の声が響く。気を失う前に聞いた声だった。しかしその言葉には怒りは一切含まれていなかった。

「え?ど、どういう…。それに、知り合いなの?」

「…まあ、な。ここまで降りてくれば、冷静なお前と話ができるはずと踏んで正解だった」

『…娘、精霊も感情と意志を持つのだ。表にいた我らは怒りにとらわれている我ら。しかし、ここの我らはそうではない。それだけなのだ』

「…は、はあ…」

 いまいちその言葉の意味が解らず、ファーナは生返事をした。

「ってことは、お前はまだ『浄化』をする気はないってことだな?」

 不意に飛び出た物騒な言葉にファーナはぎょっとする。

『まだ…な。だが表の我らの怒りもまた真なのだ。やがては…人間諸共『浄化』する日も来よう』

 その言葉には、憂いが込められていたような気がした。

「あ、あのっ…でも、それは…貴方は望んでないんじゃないですか?どうして…そんなことするって…」

 言葉だけじゃない。怒りと共に感じた哀しさは、そうしたくないという気持ちの裏返しなのだとファーナは感じていた。

『娘、我らも…いや、この世界も生きているのだ。お主ら異界の者は、この世界にとっては異なる者…。この世界の益となるならば何も起こりはすまい。だが、この世界を蝕む元となるのであれば、排除するのみなのだ。蝕まれ、世界が壊れる前にな』

「…異なる…者が、この世界を蝕む、から…」

 ファーナはぽつりとつぶやいて、黙り込む。ルナリアが言っていたことを思い出す。『呪い子』を生み出している貴女達『竜人』の方が非道だ、と。彼女の思いは、彼女の神の思いそのものなのだ。

『そして人間もだ。『竜人』と交わり、争うことで、この世界を蝕む一因となろうとしている。…故に、世界を守るために、総てを粛清する。壊し、創り直す。生物が持つ免疫機能と同じものだ』

「そんな…」

 愕然とする。自らを、神を崇める人たちですら、世界から存在を拒絶される。それも世界の意志ではなくて、免疫――ごく自然の摂理で。

「…どうしたら…」

 途方もない話にファーナは言葉を失った。

「どうするもこうするもねえだろ。それが自然の摂理なら、逆らう方が馬鹿馬鹿しい。滅んじまえばいいんだよ」

 きっぱりとカティスが言い放つ。

『お前は変わらんな…。娘、一つだけ手はある』

「手…?」

 ふと、一条の光が射した気がした。

『それは『竜人』であることを捨てることだ』

「は…?」

 呆気にとられたような声をファーナは上げた。

「つまり、世界が滅びるから自ら命を絶てってこと…?!そんなこと、はい分かりましたって言ってできるわけがないでしょ?」

 あまりにも都合のいい、荒唐無稽な話に、ファーナはつい声を荒げてしまった。

『いや…だからこそだ。自分達の命を失わず、それでいて、竜人が『竜人ならざるもの』となれる可能性を探すことが出来るのは…そうして命を授かった竜人そのものだけだからだ』

「『竜人ならざる者』…?そんなこと、できるはずが…」

『異世界の力とこの世界の力、二つの力を持つお前ならば…。それ故に、お前はこの世界の『鍵』たり得るのだ』

「二つの力…?どういうこと…?」

 意味が解らず、ファーナは眉間に皺を寄せる。

『お前は我らの…そしてギアナの祝福を得た竜人。『精霊の民』の力を色濃く持っている』

「…えっ……ええっ?」

 ヴォルスから発せられた言葉に、ファーナは動揺した。

「そ、そんなこと…あるわけない!だって私はカルディアの…いや、竜人の国の王女なのよ?」

「胸に手ェ当てて考えてみろよ。…心当たり、あるだろ」

 カティスにそう言われ、少し冷静になる。地の精霊術を発動させたこともあった。そして、今だってヴォルスに乗っ取られていた。それはその『素養』が無いと起こらない出来事なのだ。

「でも…どうして私が」

「どうしてそうなのかなんて俺も知らねえよ。ただ…そんな壮大な、世界の構造を根っこから変えるような『変革』を、たった一人で出来るわけがねえだろ。神様でもあるまいし。無謀なこと好き勝手言いやがって」

 カティスの言い分はもっともだった。『鍵』だのなんだの言われても、全くもってピンとこない。

『全く…『天の守人』のお前が、気付いていない訳がないだろう、カティス』

「…っ!」

 ヴォルスの言葉にカティスの表情が一瞬強張ったのを、ファーナは見逃さなかった。

「いい。…もう行くぞ。お前が正気になって、ヴォルスの真意が訊ければ、もうここにいる理由はねえ。さっさとルナリアを倒して、先に進むぞ」

「えっ…。う、うん」

 その言葉の真意を知りたい。ファーナはそう思ったが、カティスは答えてくれなさそうだった。それよりも、今は、目の前の敵を倒さなければならない。

「しっかり掴まってろ。出たら多分すぐにルナリアと対峙することになる」

「解った…」

 カティスは身を翻して、降りてきたよりもずっと早いスピードで上へと昇っていく。次第に小さくなっていくカティスとファーナの姿を、ヴォルスは人の形を保ったまま、眺めていた。

『『天の守人』よ…その宿命からは逃れられんぞ…』

 

「…出てこないなー…」

 そうぼやきながらもルナリアは火口を見つめ、警戒を怠ってはいなかった。

「!」

 赤く光る溶岩の海から、ファーナを抱えたカティスが飛び出てきた。ファーナの瞳には、しっかりと意志の光が戻っていた。

「…そんなバカな!ヴォルス様は確かに降臨されていたのに…」

 よろっとルナリアがたじろぐ。

「空間を断絶させれば、精霊共の影響も断絶する。俺がいなけりゃ上手くいったんだろうが、残念だったな」

 勝ち誇った笑みをカティスは浮かべた。地面に音もなく降り立ち、ファーナから手を放す。

「ま、まだだ…!こっちには竜がある!二人とも、燃やしてあげるよ!」

 ピィー、とルナリアは指笛を鳴らした。空を旋回していた竜が、ふわりとルナリアの隣に舞い降りた。

「…な、何これ…」

 ファーナが目を丸くする。

「これはお姫様の血を使って作った竜だよ。やっぱり血が濃いと違うねぇ」

 そう言いながら、ルナリアは竜の肌を撫でる。

「…てめえ、それどうやって『創った』んだ…」

 カティスが顔を顰めて問いただす。

「企業秘密だよ。君達二人がボクの味方になってくれるなら、教えてあげてもいいけど」

「断る」

 カティスがきっぱりと否定する。

「だよねえ。残念」

 そう言って、ルナリアは軽々と竜の背に跨った。

「なら、ここで死んでもらうよ!そらっ!」

 ルナリアの掛け声と共に、竜は思い切り息を吸い込み、口から火を噴き出した。

「っ!」

 カティスとファーナはそれぞれ左右に飛んでかわした。

「てえぃ!」

 身を翻し、ファーナは竜目がけて蹴りかかった。固くゴツゴツした肌にファーナの足が逆に痛くなる。

「うっそ…」

 衝撃に気づいたのか、竜の頭がこちらを向く。再び大きく息を吸い込んだことに気が付いて、ファーナは慌てて後退する。吐かれた火柱をギリギリかわして、ファーナは地面にへたり込んだ。右足がズキズキと痛んで痺れている。

「おい姫さん!くそっ…」

 ファーナの方へと駆け寄ろうとしたが、間に竜が立ちはだかり、カティスの方を向いている。

「通さないよ。そして君にはここで死んでもらう…」

「悪いが、今はまだその時じゃねえんだ。アンタにご退場願うとする」

「ふん、随分と強気だ…っ?!」

 ルナリアが竜の背の上で、急に身体を抱えてうずくまった。

「うぐっ…何だ…?身体が…重い…」

 息を切らし始めたルナリアに、カティスは余裕の笑みで声を掛けた。

「ジェムを埋めてることが逆に仇になったみたいだな」

「…何っ」

「冷静になったヴォルスは俺らの味方だ。俺達を殺そうとしたお前を、そのジェムを通して抑えてんだよ。平たく言うと、お前の神様は俺達を殺す真似を赦さないってことだ」

「なっ…!」

 ルナリアが信じられないといった声を上げた。

「…国に帰れ。二度と俺らを付け狙うな。そして、俺らの素性をばらすな。それさえ守ってくれりゃ、見逃してやる」

「えっ…」

 ファーナは竜の後ろでカティスのその言葉を聞いて、思わず声を上げた。

「…戦うって言うなら、俺はお前を殺してやる。どうする?」

「…くっ」

 ルナリアはうずくまりながら竜の背中を叩き、宙に浮かせた。

「賢明な判断だ」

「お礼は言わない。けど、それがヴォルス様の意志なら…」

 ルナリアはカティスを一瞥してから、竜を反転させた。すーっと、竜が滑空していく。闇に紛れて見えなくなるまで、ファーナとカティスはその姿を見つめていた。

「…なんで逃がしたの?」

 見えなくなってから、ファーナがカティスに聞いた。

「いくら敵でも、あんなガキを手にかけるのはな…。それに、ちょっと気になることがあるんだよ」

「気になること…?」

「ああ。あの竜をどうやって『創った』のか」

「どうやってって、私の血を使ってって言ってたけど…」

「…お前は竜の姿になれるのか?」

 ふるふると、ファーナは首を横に振る。

「だろ?けど、お前の血が決め手になって、あの竜は『創られた』。それは…神の領域の業なんだよ」

 そこまで言って、カティスはファーナを抱きかかえた。

「!私、歩けるから…」

「ん?歩いてここから下山するつもりだったのか?殊勝なことだな」

「あぅっ…それは…」

 カティスの冷静なツッコミに、ファーナは言葉に窮した。

「それに…血抜かれてフラフラなんじゃないのか?」

「うっ…そ、そういえば…」

 カティスに指摘されてやっと全身の緊張が解け、ファーナの視界はぐらついた。

「お…お願いします…」

 そう言ってファーナは、ハァーっと深く長い溜息を吐いた。

「流石に船まで時間かかるから寝てろ」

「うん…」

 素直に返事をして、ファーナはカティスの肩口に頭を預けた。暖かな体温に安心したのか、ファーナの意識はすとんと落ちて、すぐに寝息を立て始めた。

 

 渡り板が軋む音に気が付いて、甲板で落ち着きなくうろうろしていたダタがその方向を見る。銀色に淡く光る待ち人の姿を確認すると、思わず喜びの声が上がった。

「カディ殿!姫様も…!」

 カティスは流石に疲労の表情を浮かべていた。ファーナは疲れ果ててしまったのか、すっかりと深い眠りに付いているようだった。

「悪ぃ、ちょっとこの趣味の悪い鎧はがすの手伝ってくんねえか?これじゃベッドにも寝かせられねえ」

「は、はい!」

 カティスはその場にファーナを降ろし、ダタと二人がかりで鎧の留め具を外し始めた。

「…カディ殿」

「何だよ」

 作業の手は止めず、カティスが返事をする。

「姫様を助けていただき、ありがとうございました」

 ダタは作業の手を止め、膝に手をついて、カティスに向かって頭を下げた。カティスも手元から目線をダタの方に移した。

「別にいい。俺は俺ができるだけのことをしただけだ。頭上げろよ」

「いえ…戻る道すがら、ラーク殿から仔細を聞きました。今回だけではなく、いつでも貴方は姫様を護ってくださった…。本来なら我々がしなくてはならないことなのに」

「…あの野郎…」

 カティスはばつの悪い顔を浮かべた。一つ溜息を吐いて、カティスは再び口を開く。

「たまたまだからな。コイツの兄貴が目で訴えてきたからな!」

「ヘディン様の…。本当に、ヘディン様に代わって御礼申し上げます」

 再び深々と頭を下げたダタに、カティスは「ああ~」とイラつきを隠さず声を上げた。

「だから!頭を上げろって!つーか、作業をしろ!」

 カティスの叫びが、南国の満天の星空に響き渡った。

 

 

 闇に沈んだ部屋で、ヘディンは椅子に全体重を預けたまま、目を瞑っていた。正式に軍の統率の任を解かれ、ある意味で自由になったとはいえ、今後どのように身を振るべきか、権力がほとんどない状態でどれだけ動けるものか、考えを巡らせる。

 そんな中、扉が叩かれる。あまりに深く考えていたせいで、ヘディンはその音に驚いてしまった。

「…王子、お休みでしたか」

 扉の向こうから聞こえてきたのはライラの声だ。

「いや、起きている。入っても構わない」

 そうヘディンが呼びかけると、私服のライラとレオンが入室してきた。部屋の中のあまりの暗さにライラは「うわ」と小さな声を上げ、手に持っていたランプを目の高さに掲げてヘディンを見やる。ヘディンもまた、手元のランプに火を灯し、ソファに座るように二人に促す。

「どうした、俺に何か言ってもほとんど何もしてやれんが」

 ヘディンも二人に向かい合うように腰を下ろした。

「…むしろこれからじゃないですか、王子。身軽になったんだ、やりようはいくらでもありますぜ」

 レオンが愉快そうに言う。

「王子、実は私も、先ほど副長の任を解かれたのです」

「…え?」

 ヘディンは目を丸くした。宮廷騎士の副長は、定期的に行う模擬戦の結果、最も強い者を据える。ライラは剣技で他を圧倒し、三カ月前に副長に就任したばかりだった。

「副長決定戦はこの前やったばかりだろう?何故」

「日中の会議の一件で、留守居の元締めの王子をうまくサポートできていなかったと、ウルス団長と赤軍服の方々から槍玉に挙げられまして」

 そう言って、ライラは肩をすくめた。

「…俺一人の責任のはずなのに、何故お前まで…。すまない」

 ライラは頭を振る。

「いいえ。王子の責任ではありません。どちらかというと、政治的策略のように思います」

 ライラはそこで言葉を一度切った。

「…あまりこういうことは言いたくありませんが…ヴィオル閣下の息がかかった者を取り立てたいという意向があるように思います。まあ、宮廷騎士の副長というものは、団長がいないときに宮廷騎士を纏める立場になるくらいで、他に何の権限もありませんが」

 サバサバとライラは言葉を続けた。

「…ということは、お前の代わりに副長になったのはオードか」

 副長決定戦でライラに敗れた、悔しさに満ちた男の顔を思い出した。オードは宮廷騎士の中でもヴィオルに近い人物で、熱心な天教徒でもある。こんな都合のいい話もあるものなのだなと、ヘディンは心の中で溜息を吐いた。

「ええ、そうみたいですね。でも、例え誰に何を言われようと、私がお仕えするのは、貴方だけです、王子」

 普段と変わらない、自信に溢れた顔がそこにあった。その表情に、ヘディンは逆に勇気づけられた気がした。

「…有難いことだ」

 ヘディンも微笑んでライラに返す。その情景を見て、ライラの隣に座るレオンがゴホン、と咳払いをした。

「あー、まあ、事情説明はその辺にして、本気でこの後どうします?正直この国に居ることにこだわる必要はないと思ってるんですがね」

 うん、とヘディンは軽く返事をしてから続ける。

「…実は、少し考えがある。聞いてくれるか」

 


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