第11話

 早朝。まだ霧が立ちこめるカルディアの首都・ハルザード。城の一室のドアが叩かれた。部屋の主はその訪問者を静かに部屋に入れる。

「…何かあったか、ダタ」

 主は自分よりも背丈が大分小さいその中年の男に視線を合わせるように屈む。畏まって膝をついていたダタは顔を上げた。頬骨が出っ張っていて、目は大きい。特徴的な顔立ちだ。

「スレークの首都、サンドラまで行って参りました。姫の居場所はシャル達が突き止めたとのことでしたが、ご報告すべきことがあり、参上いたしました」

「報告すべきこと?」

 東のスレークからもたらされる情報は、決まっていい話ではない。ヘディンは顔を顰めた。

「スレークが、このどさくさに紛れて、姫を拉致しようと考えているようなのです。研究に使うために」

「…何だと?」

 ヘディンが目を見開く。行方知れずという情報を逆手にとって、自ら拉致してしまおうという考えなのだ。胸の底で、怒りが湧いた。

「それだけでは無いんです。…シャル坊から、姫に連れがいるとお聞きですか?」

「ああ。聞いている」

「どうやら、スレークの諜報員がいる場所を通ったみたいなんです。その連れも何だか摩訶不思議な術を使うとかで狙われているようで」

 ヘディンは内心、しまったと思った。『堕天使』の存在が敵国に知れてしまう。可能性は低いが、逆に『堕天使』が、彼らを利用し何か事を起こすかも知れない。そうなるとこちらの不利だ。

「…それは問題だな」

 ダタは、ファーナと連れがスレークに狙われている事態が「問題」だと解釈しただろう。ヘディンは腕組みをして唸った。今の自分の立場で出来ることは限られている。

「ダタ。南へ飛んでくれ。恐らく今はエルガード近辺だ。見つからないように、ファーナ達を見張れ。もしスレークの者がファーナ達を攫おうとしたり、ファーナの身に危険が迫ったら、影から助けてやってくれ」

 ダタは不思議そうな顔をした。

「表立ってはならない、ということですか」

「…ああ。表立ってしまえば、いざと言う時の助けにならない。それに…シャル達の話だと、家出と言っていたそうだから、後を付けていると知られるのも、ファーナに悪いしな」

 少しおどけてヘディンは言う。しかしダタはそれを真面目にそのまま受け止めて頭を下げた。

「はっ。それでは早速、行って参ります」

「…道中気をつけろ」

 ダタは音もなくその部屋から立ち去った。後に残ったヘディンは、まだ霧で視界の利かない外を見やる。

「…スレーク…。『竜人』を実験台として使うという話は聞いていたが…ファーナにまで手を出したらただでは済まさん…」

 ヘディンの拳は、怒りに打ち震えていた。

 

 暖かな朝日が部屋に差し込む。その眩しさと熱でファーナは目を覚ました。身体の調子は良く、ゆっくりとベッドを出て伸びをする。

「んー…」

 昨日オルバが外で買ってきてくれた洋服に着替える。これから南へ向かうことを気遣ってくれたのか、駱駝色の袖なしジャケットに短いワインレッドのパンツだ。着替えて階下へ降りると、丁度朝食の支度が終わった頃だったようで、全員がリビングにいた。

「おっ、ネボスケ起きたなっ。元気か?」

 配膳をしていた、よく日焼けした中年の男性がファーナを見てニカリと笑う。

「うん。ロイさん、今日は仕事?」

 ロイは食卓に目玉焼きの乗った皿を並べながら大きく頷いた。

「いんや。今日は休み。でも早く起きちまって。学院講師の性かねぇ」

 学院で武道講師もしている彼の身体は、相変わらず筋肉隆々で、Tシャツの上からエプロンをしているが、やはり相変わらず似合わない。その姿に、久々に笑いを堪えながら、かつて自分が座っていた席に腰掛ける。

「ファーナ、身体の具合はどうです?」

 向かいに座っているティオが心配そうに声を掛けた。

「大丈夫。元気になったよ」

 元気な笑顔で答えるファーナに、ティオはほっとした表情を浮かべた。

「よかった。…ラークさんから朝早くに言伝てがあったんです。もし元気だったら、ロストール様の所に二人で行ってほしいって。あと、出発は明日って言ってましたけど…」

 その言葉に反応したのは、ファーナではなく、ティオの左隣に座っていたオルバだった。

「な、何それ!ラーク様も旅に出るの?!ええー…信じらんなーい…」

 がっくりと肩を落とすオルバに、メアリーがぽつりと言う。

「坊ちゃんならいつものことじゃないか。何を今更」

「えー…だって、ファーナ一緒なんでしょ?うーらーやーまーしぃー」

 テーブルの下で足をじたばたさせてオルバは悔しがった。

「なら付いてくるか?…死の危険は常にあるけどな」

 その向かいに座るカティスが追い討ちをかける。

「そ、それはお断りだわ…。ていうか、アンタちゃんとファーナのこと、護りなさいよね!」

「それはあの先生に任せる。俺は知らねぇな」

 そう言って、カティスはスープを口に運んだ。オルバは怒りが収まらないような様子だったが、それをファーナがなだめる。

「大丈夫だよ、オルバ。私もこう見えて強いんだから」

「…ファーナがそういうなら…」

 拗ねながら、オルバも食事を始めた。ファーナも、心から心配してくれる友人がいることを、嬉しく思いながら食事を始めた。

 

「ロストールって…確か先々代だよな」

 ファーナとカティスは食事が終わってから、二人で目的の場所―学院内の彼の執務室へと向かった。今日も天気がよく、秋といえども未だ暑い青空の下、長く緩い坂を上っている。

「うん。ラーク先生のお爺様。…知ってるの?」

「…まあな。無論、話したことなんざ無いけど」

 黒いズボンのポケットに両手を突っ込んでカティスは歩いている。目線は真っ直ぐ、先を見据えている。ふと、昨日の会話を思い出して、ファーナは一つ聞いてみた。

「あの…封印されてた時に?」

「丁度先代が若い頃にこの辺りにいたことがあんだよ。長居はしなかったけどな」

 思ったとおりだ。前よりも心を開いて話してくれているような気がする。それがファーナには嬉しかった。

 正門をくぐり、案内に道を聞いて、最近出来たという新棟へと向かう。一階の一番奥の部屋が、目的の人物がいる場所だった。

 ドアをノックして、ファーナが声を掛ける。

「ロストール様、カルディアのファーナです。…入室してもよろしいですか?」

「おお、待っておった。構わん」

 返事を聞いて、ドアを開ける。大きな本棚が壁に張り付くように並べられているが、部屋自体が広く綺麗なためか、圧迫感は感じない。髪を剃りあげた初老の男性が、ゆっくりと椅子から立ち上がり、こちらへと歩いてくる。

「お久しぶりです。ロストール様」

 ロストールの姿を確認すると、ファーナは一礼して部屋の中に入った。

「元気そうで何よりだ。…そして…」

 ロストールはファーナの後ろにいたカティスに目配せをした。

「そなたが…かの…」

 ファーナはロストールの視線の先に気が付いて、横に身体を避けた。ロストールはまじまじとカティスを見つめる。

「…何だよ。気持ち悪ぃな」

 見つめられるカティスは嫌そうな顔をした。すると、ロストールはそのまま頭を下げた。

「我が不肖の孫が、迷惑をお掛けした」

 謝るロストールの姿を、ファーナは驚いて見つめた。このエルガードの最高機関である長老会のメンバーでもある彼が、カティスに向かって頭を下げて謝るなど、到底信じられなかった。カティスが高貴な家柄の出ということを、ファーナは納得せざるを得なかった。

「何で謝るんだよ。アイツは仕事しただけじゃねぇか。俺が悪だと思うんなら、正しい行為だろ。…頭上げてくれよ」

 流石のカティスも困惑した様子でロストールに声を掛ける。

「あれは憎しみのみでお主に刃を向けた。『監視者』としてはあるまじき姿だった」

 そう言って、ロストールは頭を上げた。

「俺は気にしてねぇし、アイツもこれから俺に付いてくるっていうし、…最後に、ちゃんと見極めていればいいだろ」

 カティスの言葉は、ぶっきらぼうだが、存外、優しい口調で発せられた。それにファーナははっとした。

「そうだな…。我等も、疑問を持っているのだ。当時の振る舞いは…『あの方』の言は、果たして正しかったのかと」

 『あの方』という言葉に、ファーナは引っかかりを覚えて、眉間に皺を寄せた。一体誰のことだろう。

「お主は…その答えをきっと持っている。我が不肖の孫を…よろしく頼む」

 ロストールは再びカティスに頭を下げた。

「いや、だから、止めてくれって…」

 珍しく困り果てているカティスを見て、ファーナがロストールに声をかける。

「あ、あの、ロストール様!」

 ロストールはファーナの方を向いた。しかしファーナはその先の言葉を準備しておらず、若干冷や汗をかいた。

「あの、えっと…」

「…姫。ヴィオルから追われておるのだろう?難儀であったな」

 ロストールの方から話しかけられて、ファーナは心の中でほっと溜息をついた。

「…これも、身から出た錆ですから。…私が何者なのか、カディが悪いことしないか、知らないと…見届けないと、死ぬに死ねません」

 穏やかに、しかしはっきりとファーナは答える。その様子を見て、ロストールはふっと笑みを浮かべた。

「そうか…。もし、姫が望むのであれば、このエルガードに匿うことも考えておったが…。やはり、行くのだな?」

 その言葉にファーナははっとした。ここは慣れ親しんだ街。そうして暮すのもいいのかもしれない。だが、既に心は決まっていた。

「はい。もう決めたことなので。お申し出は、お気持ちだけありがたく受け取ります」

 にっこりと、朗らかに笑うファーナを、まるで自分の孫を見るかのようにロストールは見つめる。

「何かあれば、ラークに護って貰うがいい。…今日は来て貰って済まなかったな」

「いえ、久しぶりに学院に来られて良かったです。…それでは」

 一礼をして、二人は退室する。二人の足音が聞こえなくなると、ロストールは目を閉じ、ぽつりと呟いた。

「あれが…『守人』…。天に牙を剥いた者、か…」

 

「はあぁぁ~…緊張したあ…」

 ファーナはほっと胸を撫で下ろして、先ほど上って来た坂を下る。時間が昼に近づいているせいか、往来に人が随分と増えた気がする。今日はこのまま明日に備えて買い出しに行く予定だ。

「そうか?ただのオッサンだろ」

「…この国の偉い人なんだけど…。それに、私のお爺様ともちょっと仲がいいの。…だからどうなるか心配だったんだけど」

 ふうん、と関心無さそうにカティスは唸る。

「難儀だったな、って言ってたな。…お前のじーさんって、よっぽどひねくれてんじゃねーの?知り合いに愛想付かされるぐらい」

 ぷっ、とファーナは吹きだした。

「まさかぁ…。天教信者の中では、随分と崇拝されてるのに。私は嫌いだけど」

「…ほら、少なくともお前には」

「あ、だってほら、私はそもそも嫌われてたし。…『下賎な姫』だって」

 嫌そうな顔もせずそう語るファーナを、違和感を持ってカティスは眺めた。

「…お前…」

「母様がね、平民の出だったの。お爺様は血統を大事にするから…だから、随分と色んな人に小さい頃から陰でそう言われてた。…直接言われなくったって、解るもの」

 流石に、少し寂しそうな表情を一瞬浮かべた。

「でもね、このエルガードに来られたから、そんな声なんか気にしなくなれた。ここでは身分なんて関係なかったから…。私は私だって思えるようになれたの」

 晴れやかな顔で、ファーナは下り坂の向こうに広がる、エルガードの街並みを眺めた。白亜の市街地と、青い空と海。数え切れないほどの思い出がぎっしりと詰まっている、愛おしい宝石箱のような街。

「だから、大丈夫。心配しなくても平気だから」

 そう言って、ファーナはカティスに笑いかけた。

「…誰も心配なんかしてねぇよ」

 顔を背けてカティスは愛想なく答えた。その様子にファーナはクスリと笑った。

「そういうことにしておく」

「そういうことに…じゃなくてな」

 いらついてカティスがファーナに振り向く。しかし、ファーナはカティスが何かを発言する前に、ふと思い出した疑問を口に出した。

「…あ、そうだ。さっきロストール様が言ってた『あの方』って?」

 無邪気に問いかけるファーナに、カティスの顔が今度は硬直した。

「…は?お前、俺の名前知っておいて、『アイツ』の事は知らねぇの?」

 信じられない、というような表情だ。若干半笑いになっている。ファーナは小馬鹿にされたような気がしてむっとした。

「例え知ってたとしても、『あの方』とか『アイツ』じゃ解るものも解らないもの」

 はあ、とカティスは溜息を吐いて周りを見渡す。既に中央広場まで降りてきていて、周囲には人が大勢いる。それを警戒したのか、声を潜めて、カティスはファーナの耳元で告げた。

「…『白天使』…。当時の…天界の王子だよ」

 

 南国のエルガードも、夜となると若干寒さを感じるようになった。空には雲一つなく、満天の星空が広がっている。

 そんな中、建物と建物の境で、怪しい人影が蠢いている。誰にも見つかってはならない密談が、そこでは行われていた。

「…何度も言った筈です。僕は友を売る気なんてない、と」

 低く、落ち着いた声で青年はきっぱりと意を告げる。彼の目の前にいる黒いフードを被った男は、頭を横に振った。

「国への反逆と見なしますぞ。二度と故郷の地を踏むことは許されない」

「…それならそれでいいです。僕はこの地で一生を過ごす覚悟は出来ていますから」

 むしろ、そうしたいと思っている。故郷は閉鎖的で歪んでいる。あまりにも長くこの地に居過ぎてしまったこの身体では、きっと耐えられないだろう。

「…お父上も、処分は必死でしょうな。お家も潰されましょう。それでもよろしいのですかな?名門スウェル家の跡取りが」

 その言葉が、胸に刺さる。どうせなら、繋がりなんて切ってほしい。しかし、この国にいられるのは、他国で武者修行をして来いと言って送り出してくれた父のお陰でもあるのだ。苦々しい思いを胸に抱いて、重い口を開いた。

「なら…一つだけ。…彼女達は馬車で南へ行くと言っていました。…道中、襲うのならいくらでも狙えるでしょう」

 にやりと、フードの男は笑った。

「流石、何が最良かをご存知ですな。…お家取り潰しは免れましたぞ」

 それだけ告げて、フードの男は闇に消えた。青年は、しばらくその場を動かず、闇を見つめていた。やがて空を見上げると、白銀の月が、丁度建物の間から覗くように浮かんでいた。それを祈るような心持ちで眺める。

(ごめんなさい…。でも、きっと大丈夫ですよね…。周りに強い人もいるし…)

  罪の意識と一抹の不安を抱えながら、青年は自分の部屋に戻るため、満天の星空の下を歩きだした。

 


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